【レビュー】映画「サイレントヒル」(1) 灰の向こうより、「母」を探し続けた娘

f:id:yano140:20191129084203j:plain


 

  この広大なネットの中から何を間違ったかこのブログを覗きに来てしまった方(1日に20人くらい犠牲者が居る)のアクセス先というのを見てみると、ほとんど9割が「サイレントヒル2」の記事。しょうもない駄文を書いてしまい申し訳無い反面、みんなサイレントヒル好きなのね!とちょっと嬉しくなったので、もうひと記事くらい書いてみようと思います。今回はですます口調、話し言葉で書いてみます。

 

 毎回書いているうちにかなりの長文化してしまいどうしたものかと思ってまして、読み終わるまでに20分とか書いてあると忙しい現代っ子はそれだけで読む気が失せると思うんですね。なので今回からは読みやすいよう記事を分割して上げていこうかと思います。内容も思いつくままに書き進めていこうかと思います。

 

 

 

  今回は2006年公開の実写映画版「サイレントヒル」について書いてみます。これは「ゲームの映画化」作品の中では個人的に一番好きな作品なんですね。ゲームの映画版としても楽しめるし、一つの映画としてもちゃんと面白い。そして作品全体から感じられる原作への愛とリスペクトが、何よりゲームファンとして嬉しいところ。ゲームオタクの映画監督、もっと増えてほしいですね。

 今作には一応続編もあります。続編の「リベレーション」についてはいつか観たような気がするのですが、記憶から抹消してしまったので評価不能なのが残念なところです。

 

 

 

1.激しめのゴア表現

  まず最初に断っておくと、今作はサイレントヒルファンには勿論、ホラー映画ファンにも是非お勧めしたい作品なんですが、残念ながらゴア要素がちょっと強めです。いや、ちょっとではなく”かなり”。演出上の意味はあるけれど、中々凄惨なシーンがありそういったものが苦手な方は注意が必要です。まだ観ていない方でそういった系統が苦手な方はトラウマものなので本当に見ないでください。

 

 この映画の後に作られた海外スタジオ制作のゲーム続編「サイレントヒル:ホームカミング」もゴア表現が強めで、結構この映画の影響を受けてます。(教団員なんかももろガスマスク)外国人は「チガデター!(ナカミモデター)」とかがやっぱり好きなんだろうか。サイレントヒルの恐怖ってのはそういうのじゃないんだけどなぁ、と思わなくもないですが、恐怖には文化的な違いもあるのでここら辺は多少仕方のないところです。

 

 

2.原作との違い
 今作は、PS1で出た初代「サイレントヒル」を原作とした映画化です。世界観はよく再現されているが、ストーリー・設定はかなり違うものになっています。主な違いをいくつか挙げてみます。
 
・主人公 父親⇒母親
 一番の違い。今作は「母性」を大きなテーマにしていて、それ故の性別変更でしょう。ゲームでは片親のみだったのが映画では両親共に居り、父としての愛、母としての愛をそれぞれ見せています。
 
・町の設定 寂れた観光地⇒炭鉱火災によって放棄されたゴーストタウン
 町を覆うもの 霧⇒灰。
 ゲームは静岡の熱海がモデルともっぱらの噂ですが、映画版は明確にモデルとなっている実際の町があります。アメリカ、ペンシルバニア州にあるセントラリアという町で、1960年代にゴミ処理場の不手際のせいで地下炭鉱に火が燃え移り、なんと現在まで燃え続けています。自然に鎮火するのを待つしかなく、それには100年以上かかるとも。危険なため住民は退去、ゴーストタウン化し、リアルサイレントヒルとなっているわけです。 
  この設定の変更は、実際の事故なのでアメリカ人にとって身近に想像できるというのと、映画の中で”炎”というものが結構重要な意味を持っていて、それに結びつけるために燃え続ける町ということにしたのではと思っています。
 
・登場人物の役割の変更・増加
 ゲームでは大体諸悪の根源であるダリアばあさんは、映画版ではアレッサの母親であるという点で同じですが、弱さ故に娘を差し出してしまう哀れな母親として基本的には善人になっています。代わりにクリスタベラという狂信的な姉が登場して、終始鑑賞者に「クソカルトババア早く退場しろ!」と憤慨させる役割を担ってくれます。他にも刑事など脇役が増えて、全体的に人間ドラマが豪華になっています。 
 
シェリルじゃなくてシャロン
 シェリルと言う名前は向こうでは今風じゃないんでしょうか。まあ確かに「シャロォオオーン!」の方が叫びやすくはあります。
 
・怪物と戦わない
 ゲームでハリーは鉄パイプと黄金の右足で怪物をなぎ倒していきますが、映画のローズは母親とはいえ普通のか弱い女性なので、基本的に怪物からは逃げる一方となります。とはいえ悪夢のような世界の中を逃げ切ることもまた困難な戦いで、その意味でローズも悪夢に立ち向かっていくわけです。ローズの最大の武器は娘を救おうとする強い意志、母性そのものと言うこともできます。
 
・三角頭が出てくる
 少々偏屈なサイレントヒルファンである私からすると、「赤い三角頭」はあくまでもジェイムスの自罰意識の具現化であって、エルム街のフレディのようにどこにでも出てくるものではないものと考えています。そしてゲームの一作目に三角頭は出ていないんですが、今作では地獄の番人のような存在として裏世界に登場しています。 
 三角頭はサイレントヒルのクリーチャーの中では非常に人気がありビジュアル的にも抜群なので、映画化する際には是非とも出したかったというのはあるんだろうけど、ホームカミングでも出てきた時は正直「ファンのノリに媚びすぎだろう」と感じました。ただ今作に関しては、三角頭という存在を原作から逸脱しない程度に再解釈して意味のある形で出演させているので不満はなく、これもアリだなと思えました。続編のリベ何とかは・・・、さすがに擁護できない。三角頭については少し詳しく書いてみようと思います。
 
 
3.映画版三角頭
 「赤い三角頭」は元々「サイレントヒル2」に登場するボス的存在で、2では妻を探すジェイムスを執拗に追いかけてきます。その正体はざっくり言えば妻を殺してしまったジェイムスの自罰意識と、昔のサイレントヒルに実際に存在した処刑人の外見のイメージ(その姿を恐らくジェイムスは博物館の絵で見た)が融合して具現化した存在とでも言えるものです。そのため、2の三角頭の背格好はジェイムスとほぼ同じで、彼が自分の罪を自覚して正面から向き合う態度を見せると、三角頭は自分の存在意義がなくなり自害してしまうわけです。マリアが三角頭に何度も殺されることで、ジェイムス自身に罪を自覚させている節もあり、彼を真実に導くような役割も担っています。2の三角頭というのは禍々しい処刑人の外見ながら、その実質は自殺幇助、つまり自殺の手助けをしているような役回りと言えます。
 
 一方今作での三角頭は、裏世界を徘徊しながらアレッサの作り出した悪夢に迷い込んだ(もしくは引きずり込まれた)教団の信者達をまるで狩りでもするかのように殺し回っています。今回の彼の役目はより本来的で、ずばり処刑人といっていいでしょう。
 
 処刑人は自分の意思で裁きを下して罰を与えるのではなく、神・王・国民・法など何らかの権威が下した裁きの代理執行人としてその刑罰を自らの手を汚して執り行う者で、それ自体に意思があるのではなく何かの手足として働く存在です。その観点で見ると今作の三角頭というのは、地下奥深くの病室に鎮座するアレッサによる復讐・裁きの代行者という役割を持って裏世界に君臨しているのではないかと考えられます。見た目がマッチョなのとすごくおっきい鉈?を持っていることから暴力的な男性性の象徴である(アレッサは清掃員の男から性的暴力を受けた)とも考えられますが、今作の三角頭の役割を考えるとちょっとピンとこないのでこの点は画的に映えさせた結果と解釈しています。
 
 アレッサの意志を代行する者と考えて観てみると作中の行動も納得が行きやすいかと思います。中盤三角頭がシビルとローズを絶体絶命の危機に追い込むが、立ち向かった二人はすんでの所で助かる。一見主人公補正のご都合主義に見えなくもないですが、あれはローズの母性の強さを測るため、アレッサが試練を与えていたものと考えられます。一度母親から捨てられ愛に飢えていたアレッサは、ローズという母親がどれだけ強く自分を愛してくれるのかを、怪物を差し向けることで推し量っているというわけです。
 
 一方で、教団の信者達に対しては復讐心・加虐心を以て三角頭を差し向けています。アレッサはのっそのっそと三角頭を徘徊させながら、運悪く逃げ遅れた信者を痛めつけて日々の憂さ晴らしをして遊んでいる、といったところでしょう。ゲーム版サイレントヒル2の設定通りなら、住人である信者達は処刑人の昔の姿を知っていると思うのでその存在をさぞ恐ろしく感じていることでしょう。
 
 
 
今回はここら辺で。次回は映画版の裏世界についてと、アレッサちゃんについてです。