【エッセイ】ゲーム「バイオハザード RE2」 ゾンビ達との20年越しの再会を経て

レオン/クレア表裏ハードコアS+クリア達成、全実績解除の一区切りにレビュー(※レビューと書いてあるが、実際はエッセイ的内容です。)を残す。感じることは多く、長文になると思うので既プレイ者が全クリして一息ついた後などにぼんやり読んでもらえるとありがたい。当時の原作を未プレイの人はあまりピンとこないかもしれない。

 

本文6974文字

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 私はPS1のバイオ1~3、1リメイクなどが好きなバイオで、4はまだ楽しくプレイできたものの、5~6でシリーズから心が離れ、久しぶりの7でまたバイオに戻ってきたタイプのプレイヤーだ。
 バイオハザードというゲームはやはり少ない弾薬とにらみ合いながら、キーアイテムを探すためにゾンビの跋扈するマップ中を駆けずり回るというのが何より楽しい。ステージを何度も遊んで金や弾薬を稼いだり、協力プレイやら体術コンボやらスコアアタックやらは何か違う。キャラが立っているというのは良いことだが、だからといってキャラゲー化してしまうというのもやはり違う。

 バイオが自分の思うものからどこか遠くへ行ってしまった後は、サバイバルホラー成分を求めて洋ゲーの「Dead Space」とかを遊んでいたが、これも段々と残念な方向へ行ってしまった。そう言うとこまでバイオの真似をしなくて良いのにと思った。

 

 今回のバイオ2リメイクは、PS1時代のバイオから20年近く経ってようやく”あの頃のバイオハザード”の新作が出たなという印象だった。リメイクではあるが、久しぶりにバイオハザードの新作を遊べたという感覚だ。7は非常に楽しめた。楽しめたが、FPSであること、スプラッター要素がやり過ぎであること、基本的に敵が代わり映えのしないモールデッドという泥人形のような存在のみであることなどから、正直「バイオである必要はあるか?」と思った。でもバイオ7の成功があったからこそ、2リメイクへと繋がったところはあるだろうし、グラフィックやレベルデザインもやっぱり7からの地続きだなという感じがするので、2リメイクへの布石となった7には感謝している。異色ではあるがそれでも7も5~6よりは断然にバイオの魂を感じた。

 

 今作は、単なる高画質化のリマスターではなく完全なるリメイク。最近の「クラッシュバンディクー」はあれはリマスターだ。グラフィックを現代的水準にしただけで、プレイ感はPS1時代のままだから懐かしさは覚えるものの、やりこんでしまった人に新たな新鮮さはなく、懐古的な楽しみしか出来ない。比べて今作は、現代的水準に合わせてシステムを大胆に刷新しながらも、確かにバイオ2のリメイクを遊んでいると思わせられるのが凄い。見覚えのあるデザインだとか、キーアイテムが同じだとか、レオンやエイダが出てくるからとかそんな表面的な所ではなく、もっと奥深くの抽象的なところで確かにバイオの魂を感じる。

 

 7でもそうだったが、敵の一体ずつの配置やアイテムの置き場所、弾薬量など練りに練られた職人芸的なレベルデザインが非常に素晴らしい。最近のゲームだとジャンルは全く違うがフロムソフトウェアの「ダークソウル」シリーズなどと同じくらい優れている。今遊ぶとPS1の日本版バイオ2は結構ガバガバな難易度なのだが、当時にしてみれば今よりプレイヤースキルの平均も低く、ゲーム初心者から経験者までがヒーヒー言いながらも何とかクリアまで持って行けるという絶妙なレベルデザインは、同じ時代の大味な洋ゲーに比べれば確かに優れていた。ハリウッド映画みたいな予算で大作を無尽蔵に量産してくる世界と勝負しなければいけない現代の日本のゲームは、こうした職人芸的レベルデザインをこれからも強みにしていくべきだと感じるし、そうあって欲しい。

 

 REエンジンで描かれた完全に3Dの美麗なラクーンシティは、20年前も技術さえあれば本当はこんな風に作りたかったのだろうと思わせる説得力のあるグラフィックで、高画質化したことで逆に20年前のデザインが今でも通用する部分もあることに驚いた。

 ゲームを通して少し暗すぎるかなという印象はあるが、7が恐怖を不条理さ、もしくはスプラッター映画で感じる痛々しさで表現してしまったのに対して、今作は暗闇と敵への恐怖が相まって先へ進むこと自体が怖いという方向へ行ってくれたので、よりホラーゲームとして上質なものになったと思う。今作もグロさはあるが、7のような想像するだけでも痛々しい感じの悪趣味なSAW的グロさではなく、ロメロの「ゾンビ」を観ている時の「お前らもっと綺麗に食べろよな」みたいな、そういうやれやれ、やんなっちゃうね的グロさなのでそう気にならない。何よりカットシーン、恐怖演出はスキップ可能なので周回で何度も見せられ苦になることがない。今作では、全盛期の「サイレントヒル」シリーズなどで感じた「怖すぎて進みたくない」感覚を再び味わうことが出来た。かといって静岡的生理的嫌悪感は少なく、精神衛生にも優しい。
 あとはやっぱり7のモールデッドと違ってゾンビの種類が一杯居て視覚的に楽しい。今の時代はとにかくグラフィックが高精細で、一体をモデリングするのも大変だろうから今回は本当に頑張ってくれたと思う。周回を重ねると、どのゾンビがどこに居るとか覚えてしまい、段々と愛着が湧いてくる。

 

 映像表現ということでもう一つ言えば、今作は表現規制問題で荒れているのが非常に残念。7と同じように、今回も成人向けのZ版といえども海外版と同じ表現ではない。そして今回は7よりも問題がある。
 モツが出る出ないとかは大した問題ではないのだが、(昔から思っていることでもあり今作に限らない)ヘッドショットによる頭部破壊規制だけは本当に問題があると思う。これは美術的な問題では無く、ゲームシステムの根幹に関わるからだ。
 ゲーム倫理の審査機構「CERO」のゲームを普段遊ばない審査員の方々にはピンとこないかもしれないが、頭部破壊はクリティカルが出たことを表す記号として重要な意味を持つ。例えば聴覚障害者の人がゲームを遊んだ場合は画面上の映像表現だけを頼りにプレイするのであり、ヘッドショットが決まったことが瞬時に分かれば音が聞こえなくてもゲームを楽しむことが出来る。そこら辺を審査員にきちんと説明して説得するのがめんどくさいのか、「人間の人体欠損描写は一律規制」と馬鹿の一つ覚えのように繰り返している日本メーカーは正直怠慢であると考える。(7のモールデッドは恐らく人でない化け物ということで頭部破壊がOKだった。しかし設定上モールデッドも本来は人間であり、非常に表面的で浅はかな規制だ)
 私が遊んだのは海外版なので頭部破壊を確認すれば瞬時に弾の無駄撃ちを止められたが、ゲーム的視覚・聴覚表現に疎い人は日本版ではヘッドショットが決まっているゾンビにも無駄撃ちしてしまう恐れがある。そして弾薬が貴重な今作ではこれは割と死活問題となってしまう。
 思えばバイオも3までは自由な表現が出来ていた。マグナムでゾンビの頭が吹っ飛ぶ画面を目にした母親から「あんた、そんなゲームばっかやってんじゃないよ!」と怒られながらも、世の子供たちは何とかラクーンシティから命からがら生還し、人生時には逃げた方が良いこともあるんだなと学んだりした。CEROが作られたあと、4辺りから既に海外版との間に表現の違いが出るようになった。段々と残虐表現への風当たりが強くなり、制作会社が実質的に自主規制の形で日本独自の表現規制を作り上げていった結果が、現代の歪な映像表現になってしまっているのは非常に残念に思う。首が飛ぶとか飛ばないとかで一喜一憂できる純朴な”お子様”時代を過ぎてしまった成人ゲーマーとしては、こんな下らない規制問題でレビューが荒れること自体が非常に非生産的なので本当に勘弁してもらいたい。


 そろそろゲームの中身の方に話を移させてもらうと、もうプレイしている方は皆知っていることだと思うが、今回のバイオハザードは難しい。多分今までで一番難しい。
先にも書いたが、PS1版バイオ2は今遊ぶと正直簡単すぎた、弾は余り、構えて撃てば敵にはほぼ当たった、ボスもマグナム棒立ち連射でモーションを拝む暇も無くコロリと死んだ。
 今作はそうはいかない。弾は常に不足している。そしてゾンビの一体ずつが重い、非常に重い。ヘッドショットを5~6発、運が悪いときは10発以上も撃たないと雑魚が死なないTPS・FPSなんてのは古今東西眺めても中々に珍しく、あまりに常識外れの耐久力に敵が固すぎることを低評価の原因にする人も居るだろうとは思った。平均して海外よりもプレイヤースキルが低い日本のゲーマーには少し無理をしなければならない難易度であるとは思う。
 でもよくよく考えてみると、頭に一発入れれば死ぬのなら、ラクーン市警察はゾンビ市民の暴動?にすぐ対処できたはずで、やっぱりあれくらいしぶといのが束になって襲ってきたから壊滅したのだろうと思える。原作裏編冒頭のヘリコプター墜落おじさんのお間抜けさにも20年越しに今更納得する次第だ。それにもしPS1版くらいゾンビの存在が軽かったら沢山出さねば存在感が出ず、それではバイオがまた4~6系列の的当てアクションゲームに逆戻りしてしまう恐れがある。


 難易度の点で凄いと思ったのは、今作は「ミスして弾を外すことを前提に作られている」ということ。スダンダード以上はエイムアシストがなく、基本的にコントローラの右スティックで自分でゾンビを狙い撃たなければならないようになっている。そしてゾンビの動きはボーッと突っ立っているのが居る一方で、身体を揺らしながら変則的な動きをするタイプもおり、例えエイミングが下手で無くてもクリティカル狙いで頭を打ち抜こうとすると必ず何発か外してしまい焦る。ただでさえ少ない弾を外してしまうというこの焦りこそが、旧作バイオには無かったもので、足りなかったものだったのだと思う。

 例えばスポーツなどでも選手は必ずミスをする。本気で勝負のやり取りをすると、焦りや緊張からミスが生じ、それが勝負の駆け引きに複雑さを出してゲームを面白くしていく。ゾンビをただの立ってる的では無く、本気でプレイヤーに殺意を抱く強敵にすることで、プレイヤーに焦りを生じさせミスを誘発し、それをレベルデザインにまで昇華しているのが今回のバイオ2リメイクなのだ。これは地味だが一番驚嘆すべき部分でもあって、レベルデザイン、難易度調整に関してそんじょそこらの平凡なビデオゲームとは次元が一つ違うと言っても良い。

 旧作バイオでは新しい部屋に入りゾンビと遭遇したら、手持ちの弾薬と敵の数だけを考えれば良く、その後何が起きるか容易に予想できた。「ゾンビはハンドガン5~6発で必ず死ぬ、この距離なら2体はハンドガンで殺せるから、最後に間に合わない1体だけショットガン撃とう」てな感じだ。今回は弾薬に余裕があったとしても体力に幅があるゾンビの動きや数、状況によっては弾を外して、もしくは殺しきれず危機に陥る場合もあるなど、プレイヤーの判断すべき要素が非常に増えて戦略性が高まっている。アクションゲームでありながらも実はのどかなターン制ぽかった旧作に比べて、ゾンビとの駆け引きが非常にスリリングになった。現代の水準で考えれば、やはり「サバイバル」する「ホラー」と言うにはこれぐらいの歯ごたえが無ければ説得力は無かっただろうと思う。今作のゾンビには「私、ここに立ってますからバンバン撃ってくださいねー」という接待的な「おもてなし」ではなく、きちんと「お前、食う」という意思を感じさせられる。

 

 20年ぶりのリメイクを経て難易度、システムが全く変わってしまったバイオ2を見ていると、真のリメイクとは同じものをただ作り直すことでは無く、同じだけの熱量を持った体験をもう一度させてくれるものを作るということなのだと改めて思った。20年前のバイオ2は当時の最先端であり20年前に遊んだからこそ、皆が本気で窓から飛び出してくるリッカーにびびり、棒立ちでゾンビを蹴散らすことに熱中することができた。しかしあれから20年、ビデオゲームは進化し続け、表舞台は日本から世界全体に移り、バイオの中の主人公が安い英語教材みたいな台詞を喋っても許される大らかな時代では無くなってしまった。ゲーム自体も、それを楽しむ消費者としてのプレイヤーも、全てが洗練されていく中で20年前の作品をリメイクするということは、本当に大変なことだ。

 伝説的RPGFF7のリメイクが発表されて久しい。FF7リメイクの開発もバイオ2リメイクと同じだけの苦しみがあるだろう。バイオはストーリーよりもゲーム性が重視される作品であるのに対し、FF7はストーリーが極めて重要で、プレイヤー達は皆結末まで知ってしまっている上でのリメイクである。これを成功させるのは至難の業だろうが、作るというからには是非成功させて欲しい。一つだけ望むのは、変えることを恐れないで欲しい、一番大切なのは当時と同じだけの情熱を感じられるということだ。

 

 上記の理由もあり、もはや簡単すぎるカジュアルゲーでは満足できなくなってしまった身なので今作の難易度には大満足なのだが、難易度アシストを遊んでみたところ、弾薬の余り具合、ダメージ量などが旧作バイオ2に近かった。旧作程度の感覚で遊びたいプレイヤーやアクションが苦手な人は何も負い目を感じずにアシストモードで遊ぶと良い。

 今作の難易度EASYは、他のゲームで時折あるようなプレイヤーを馬鹿にしているかの如き幼児向け難易度ではなく、アクションの苦手なゲーマーにもクリア可能にしつつ、スタンダード以上の難易度をクリアしたときと同じようなゲーム体験、達成感を感じられるように調整されている。

 エイミングというのはどうしても苦手な人がいるので、それが出来ないだけでこの傑作を遊べない人が出るのはもったいない。ハードコアな路線を維持しつつも、エイムアシストを残すことは必要であると思う。アホみたいに弾を置きまくるとか、敵が全然居ないとか、そういう馬鹿みたいに簡単な難易度にさえしなければそれで良い。

 

 バイオの代名詞、無限武器。今回はPS1版の比では無いレベルで難しかった。
 7も難しかったが、ガードが出来たり、無限武器を取るのも予めアルバートや無限ノコを取ってからマッドハウスに挑めばそれほど難しくなく、一見ヤバい見た目だが人情があった。
 今回は無限ロケランのためには本当のガチンコ、一切のズル無しでハードコアS+クリアを要求してくる。スタンダードでも難しいのに、ハードコアをほぼタイムアタック状態でセーブ3回はかなりきつい。
 これは昨今の攻略Wikiや動画サイトが豊富にあることを前提にしている感があった。それでもそう易々とは達成させてはくれなかったが...。
 実は割と余裕のある時間設定だが、プレイ中は全てが無駄になるのを恐れやっぱり急いで進むしかない。そうすると焦ってミスをする。前回のセーブから数十分がパーになる。徒労感とイライラがMAXになる。ほぼ苦行と言って良いのだが、それでもとても楽しかった。ゲームでこんなにムキになってイライラするのは久しぶりで、それだけ本気でのめり込めているから頭に来るのだ。
 そしていざ取ってしまうと、少し寂しさが残る。自主的なRTAやらナイフ縛りやらはあるだろうが、そこまでやり込むタイプのコアゲーマーではないので、やはり分かりやすい形で提示されている目標は一つの区切りになる。無限武器取得は辛かったが、プレイヤースキルと今作の中で得た知識をフル活用させてハードコアを駆け抜けること自体はとても楽しかった。PC版ならいくらでも数値をいじって実現できるチートにすぎない無限武器自体よりも、そうした餌で自分のような大してやり込まない系プレイヤーを釣ってこの体験自体をさせてもらえたことの方がはるかに価値があるものだったと思う。


 若いゲーマーなどは今作で始めてバイオハザード2に触れて、完全に新鮮な気持ちで楽しめただろうが、原作を少年時代に遊んだ自分のようなプレイヤーには、また違った感慨がある。
 正直最近のビデオゲーム界隈はガチャゲーやらeスポーツやら、そうでなくともとにかく大作主義で見栄えだけ良いスカスカのオープンワールドで収集品集めなど(プレイヤーの貴重な時間を何だと思っているのか?)とあまり自分の好まない方向へと進みつつあって、そろそろゲームも卒業なのかなと思い始めなくもなかった。しかしここに来て、自分が20年も前に熱中した、もうセピアな思い出になりつつある作品がこうして現代に通用する形で再び姿を見せてくれた。
 階段を下りた先にいる乗り上げられるゴミ箱と赤タンクトップの女ゾンビのような、そういうさり気なく粋な原作オマージュをいくつも眺めていると、過去の思い出を追体験しているかのようで、まだあの頃みたいにゲームを楽しめるんだなぁと思えてくる。このプレイの高揚感は今原作バイオ2を遊んでも得ることは出来ず、やはり現代に蘇った「バイオRE:2」を遊ぶことでしか感じることが出来ないものであったと改めて思う。


 ゲーム自体は胃のキリキリするような陰鬱なホラー作品だけれども、プレイしていると「20年前の俺たちってこんなゲームを夢見てたんだよね」と思い出話をしてるような気分になる。汚い顔の憎たらしいゾンビたちも、「久しぶり。お前が20年の間にゲーム上手くなったから、飽きないように俺もこんなに強くなってやったぜ」と張り切っているように見えなくもない。

 久しぶりにあの頃の懐かしい感覚を思い出させてもらった気がしたので、とりあえず制作に関わってくれた全ての人への感謝を含めて「カプコンありがとう」と言いたいところ。こんなとりとめのない感傷的な長文レビューを最後まで読んでくれた方にも大変に感謝。まだ取ってない方はS+クリア頑張ってください。ウィリアム・バーキンはナイフで切り刻んでください。