【エッセイ】ゲーム「アサシンクリード ヴァルハラ」クリア後感想

f:id:yano140:20201209182620j:plain

2020 12/8 「アサシンクリード ヴァルハラ」をクリア

 メインシナリオを全て終えるまでの総プレイ時間は約90時間。収集要素はまだ残っているので、完全制覇するとしたら150時間くらいはかかりそうなボリュームだった。次は21年春頃にディスカバリーツアーモードが追加される予定なのでそれが出たらまた遊んで、その次は大型DLCの発売を待つ。アイルランドDLCが特に楽しみ。

 

 

 

 

 

XBOX Series Xで遊んだ初タイトル

 「アサシンクリード」シリーズ(以下アサクリ)は今まで1と4を遊んだことがあって、4を遊んでからは5~6年ぶりくらいなので久々のアサクリだった。丁度XBOX Series X(以下XSX)と同時発売日になっていたので、4K60FPSで遊べる次世代機対応タイトルとして何となく買ったみたが、これがまた思いの外良い作品だった。

 

f:id:yano140:20201209183911j:plain

9世紀、イングランドヴァイキングが侵攻していた時代のお話

 今回のアサクリは、9世紀のノルウェーイングランドが舞台。ノルウェーは序盤と終盤で出てくるだけでメインの舞台はイングランド。実在の地名や人物が沢山出てきて、ネットで調べながら遊ぶのが楽しかった。

 これを遊ぶ迄あまりヴァイキングってものに興味が無かったが(見た目が小汚いし、野蛮人みたいだし)、プレイしながらヴァイキング文化と北欧神話にかなり関心を持った。ヴァイキングってのは本当は交易商人のような感じで、かなり文化的だったらしい。北欧神話の殺伐とした雰囲気も割と好きだ。ドラマのヴァイキングを観てみたくなったし、いつか北欧神話のエッダとかも読んでみたい。

f:id:yano140:20201209184420p:plain

アサクリ伝統のロゴマークも、今回はヴァイキングの象徴「斧」の形に
 主人公の(かなり緩い)性別選択

 アサクリシリーズは前作のオデッセイから主人公の性別を選択できるようになっていて、前作は違う名前の別人格主人公(アレクシオス、カサンドラ)が選べたが、今回は男も女も名前は同じエイヴォル、性格も同じ。

 今回は作中の説明だと二つのなんちゃらストリームが混ざり合ってるとか何とかで、ゲーム中オプション画面から自由に性別を切り替えることが出来る。つまりどちらの性別を選んでも特に体験に変わりないような仕組みになってる。

 その結果として性別選択は好きな見た目の方を選ぶスキン選択的感覚だが、そのせいで作中のロマンス対象もみんな同性愛者やバイみたいになってしまってるので、ちょっと不自然な感じもした。ここら辺が性別変えると選択も変わるのかは未確認だが、最近のLGBTに配慮する傾向を見るとここら辺はかなり自由な選択が出来るようにしてるんだと思う。

 ロマンスに関してはかなりの薄味で、あってもなくても良いようなものなので、性別選択は本当に自分の好みで選んで良い。自分は最初選択に迷ってゲーム側に任せる選択肢を選んだら女性エイヴォルに成ったので、そのまま女性エイヴォルで最後まで進めた。結果としては女エイヴォルが(見た目も性格も)美人だったし、声優さんの声もすごく良かったのでこっちにして良かった。

 この自由な性別選択っていうのはキャラクリの一種なんだろうが、エイヴォルというキャラクターは維持しつつ、プレイヤーの感情移入を助ける形で好きな性別を選択させるということで、まあ悪くないシステムなんじゃないかと思う。外見性別が違ってもストーリー体験自体はほとんど同じものになるのでプレイヤーとしては共有出来る体験になるし、作る側もストーリードリブンな作品を作りやすい。主人公が女だったら買うのに、とか思う人が居るのかどうか知らないが、少なくとも選択の自由があること自体は良いと思う。

 これをプレイしながらネット上の他のプレイヤーの感想とかを見てて思ったが、感情移入の仕方でも色々あって、自分と同性のキャラクターにして感情移入する場合もあれば、逆に異性のキャラクターにして感情移入する場合もある。前者は自己投影で、後者は疑似恋愛に近い。そのまた逆に自分の中に在る異性的部分の表出として異性を選ぶと言う場合もある。どんな理由にしろ、一番自分が感情移入しやすい形を選べればより物語に没入できるので、選択肢があること自体は特にインタラクティブな体験としてのビデオゲームでは良いことだと思う。

 とは言うものの、今作の物語を改めて振り返ってみると、このストーリーはやはり男性主人公を想定して作られたものだったなと思う。この物語の一つの主題は父殺しであり、父殺しってのはやはり息子がやるものだ。

 あとは、プレイヤーが女性主人公を選ぶ場合のために、フレイヤの設定が少し変更されていた。北欧神話ではフレイヤはハーヴィ(オーディン)の妻だが、今作では単にアースガルズの女王という扱い。

f:id:yano140:20201209184532j:plain

性別が選択できる。ゲーム中の切り替えも自由
 主人公エイヴォル

 今回の主人公だった(女)エイヴォルは、かなり気に入った。今まで遊んだゲームの女主人公の中でも5本指に入るくらいには好きかもしれない。

f:id:yano140:20201209191008j:plain

 最初にオープニングを終えて成人した女エイヴォルを見た時は正直あんまり見た目が好きじゃなかった。まず頭の脇は完全に剃り上げててちょっとコワいし、髪型もリーゼントの不良みたいだし、性別だけ女の男みたいな感じであんまり感情移入できなかった。

f:id:yano140:20201209191257j:plain

 ただプレイしていくうちに会話シーンとか、サブイベントの中で見せる表情とかがすごく良くて、強さの中にふと優しさとか女性らしさを感じることもあって、段々愛着が湧いてきて中盤くらいからはかなり好きになった。ここら辺は声優さんの演技、フェイスモデルの秀逸さ、あとモーションキャプチャのお陰でもあると思う。今作のグラフィックはフォトリアルな傾向だが、そのお陰で表情とかもよく分かってかなり感情移入しやすかったんだと思う。あとは何より、かなりの美人。

f:id:yano140:20201209192539j:plain

 女エイヴォルのお顔は北方系ゲルマン人の特徴をよく反映していて、顎も結構エラが張ってたり鼻筋もかなりしっかりしてたりと割とがっしりした骨格の顔立ちになってるが、個々のパーツ自体はかなり整っていて女性的なヘアスタイルとか格好をしたら普通にハリウッド美女になると思う。グレース・ケリーとかあっち系の美女。

 元のフェイスモデルの女優さんはそれほど美形でもないので、3Dモデルを作っていく中でかなり手入れされてる。この中性的な感じを出すのに相当時間を掛けたはず。目の色が透き通った綺麗なブルーになっててそこが結構大きい。あとデフォルトだと金髪で睫毛まで金髪なのも見栄えが良かった。けど本当のヴァイキングって人種的に多様で混血が進んでて、そこまで金髪だらけでもなかったらしい。

f:id:yano140:20201209193606j:plain

 今作の主人公だったエイヴォルっていう人間はヴァイキングだから喧嘩好きで荒っぽい所も勿論あるが、割と冷静沈着で思慮深く、あとは詩を愛するロマンチックな一面もあったりして中々魅力的なキャラクターだった。何かあるとすぐ詩にして歌い出すところがちょっと面白い(多分これはオーディンが詩の神で、エイヴォルもその生まれ変わりだから)

f:id:yano140:20201209193840j:plain

 性別自由選択の結果として女にしても割と男らしい性格のエイヴォルなんだけど、ふとした時に見せる女性らしい優しさみたいなのが良かった。ここは声優さんの演技と表情のお陰。そもそもエイヴォルは自分の一族を率いる首長的役割があったので、父親的な部分もあり、母親的な部分もある。女主人公にしたことでその母性的な部分をより感じられた。

f:id:yano140:20201209194929j:plain

f:id:yano140:20201209195355j:plain

 ちなみにエイヴォルさん、ノーメイクっぽいがよく見るとアイシャドウも塗ってるしナチュラルメイク。

 フォトモード

f:id:yano140:20201209201346j:plain

 そういえば、そもそもなんでこんなブログを始めたかというと、XSXを買ってからというものゲームのスクショがかなり撮りやすくなったというのが大きかった。新しいコントローラにはシェア専用ボタンが追加されて、そこを押すだけですぐスクショを保存できるようになった。別にそう大したことない機能だけど、この手軽さのお陰で今までスクショなんてほとんど撮らなかった人間だったのが、バチバチやり始めるようになった。こういう何気ない新機能が、人間の生活様式自体を変える可能性を秘めてる。

 このゲーム自体にもフォトモードというのがあって、これは最近のビデオゲームでは流行の機能だ。ゲーム内時間を止めてフィルターやエフェクトをかけたりして見栄えの良いスクショを撮れる機能で、SNSとの相性が非常に良い。(というよりSNSの流行を受けて付けられた機能)

 このフォトモードというのも結構楽しいもので、ゲームが観光旅行の様な感じになってくる

f:id:yano140:20201209202521j:plain

フォトモードを使うとクマちゃんとの戦いの後もこんな素敵な一枚に

f:id:yano140:20201209202623j:plain

f:id:yano140:20201209202636j:plain

f:id:yano140:20201209202651j:plain

f:id:yano140:20201209202736j:plain

 こんな感じで簡単にゲームを一時停止して構図や被写界深度(ボケ)などを調節出来るので、お手軽に見栄えの良い一枚が撮れる。SNS上にはフォトモードを利用したスクショが沢山アップロードされていて、綺麗なスクショを見て作品に興味が湧く人も居るだろうから販促にもなる。と言うわけで段々フォトモードを搭載したゲームが増えている。あのデモンズソウルのリメイク版にも搭載されたくらいだから、もうフォトモードというのはポピュラーな機能だと言って良い。

 

f:id:yano140:20201209203102j:plain

f:id:yano140:20201209203109j:plain

f:id:yano140:20201209203135j:plain

f:id:yano140:20201209203215j:plain

 確かにこのフォトモードというのは間違いなく素晴らしい機能なんだが、ゲーム体験との関係を考えるとどうなんだろうかと思うところもある。

 例えば観光旅行などでもよく写真を撮るが、それは旅の思い出を残すためであって写真を撮るために旅に行く訳じゃない。最近は「インスタ映え」とか言われるように、目的と手段が逆転してるように見受けられるものも多々ある。

 フォトモードって機能は何なのかと考えると、要するにゲームの進行を一時停止させてフリーカメラモードにして好きな場所からスクショを撮れるようにするものなんだが、その度にゲームプレイが中断されることになる。綺麗な写真が撮れることは良いが、あまりフォトモードばかりを気にしてプレイしていても良い写真を撮ることばかりに気が行ってしまって、肝心のプレイ体験の連続性が阻害されるのではという心配が少しある。あとスクショを撮るようになってから気がついたことだが、プレイしている最中も常に良いスクショのタイミングがないか意識してしまうようになる。そうするとゲームプレイを楽しむというよりは、見栄えする画を探すカメラマンになってる様な気もしてくる。(いつもインスタ映えする瞬間を探したり、呟けるネタを探してるSNSユーザーの様な気もしてくる。)

 綺麗なスクリーンショットというのはゲーム体験を記録として残すのに役立つが、一番大事なのはその瞬間のプレイ体験なので、なるべくそれを阻害しない形でスクショ機能やフォトモードを使っていくのが良いとは思う。

 今の所考えつくのは、スクショではあまりベストショットに拘らない(キャラが半目になっても許す)、フォトモードも寄り道的タイミングで綺麗な景色や面白い瞬間に出逢った時には良いが、メインの物語を味わっている時にはあまり使わない、あとで必要なスクショが撮れるように動画キャプチャも残しておく、など。本当は一週目は一切スクショも撮らずにプレイに没入し、二週目などでフォトモードで思う存分に観光を楽しむというのが一番良いだろうが、そうすると初プレイ時の感動は薄まるし、時間的な問題もあるし難しいところ。

 ゲームプレイとスクショ記録のバランスというのは、これから追い追い考えていきたいと思う。まあでもこの機能は大変ありがたいので、これからもどんどん使っていきたい。やはり写真は良い、スクショを眺めただけでもプレイ中のことを色々思い出す。

 

ヴァルハラのゲーム体験

 アサクリを遊んだのは4以来だが、今作は4と比べるとかなりシステムが変わっていて、ほとんど別のゲームと言って良かった。アサクリは1が出た時から「パルクール暗殺アクション」とでも言えるようなジャンルのゲームとしてシリーズを続けてきたが、作品を重ねる毎にかなりマンネリ感が出てきていたのも確かだった。そこで「アサシンクリード オリジンズ」からシリーズ再出発と言っていいくらいにシステムを刷新して、アクション部分はソウルライク、レベル制導入に加え、今までより更にオープンワールドに特化したゲームになった。この方針は成功したようで、シリーズの売れ行きは好調の様子。ヴァルハラもシリーズ最大の売上らしい。次世代機ローンチに出たというのも大きいと思う。

規制

 日本では流血表現規制のせいでネット上で炎上したりして、UBI日本法人の対応も良くなかったせいでAmazonレビュー評価とかが悲惨なことになっている。せっかく良い作品なのに勿体ない。こんな光景を以前にどこか(バイオハザードRE2)でも見た気がする。

 表現規制というのは主に敵兵士から血が出ないってやつなのだが、首とか腕とかの切断表現は普通にあるし、切断されたときの血しぶきも出たりする。つまりそれ以外の血が一切出ないということなんだけど、なんとも中途半端な表現規制だ。UBIは最初CEROのせいにしたが、本当はそうじゃなかったらしくすぐばれる嘘をついたせいで火に油を注いだ。結局今月のパッチで血が出るようにするらしい。毎回作品がそのストーリーやゲームシステムといった本質的な部分以外の所のせいで炎上してたりするとうんざりさせられるが、今回は正直UBIも悪い。

 そもそも暴力ゲームというのはそれ自体が既に趣味として後ろ暗いところはあって、あまり声を大にしては騒ぎづらいものがある。血が出るとか血が出ないとか、首が飛ぶとか飛ばないとか、そんなことで目くじら立てて騒いでる人を見たらゲーマーじゃない一般人はサイコなアブナイ人たちかなと思う。ゲーマーである自分自身ですらそう思う。

 だから本来エログロの類いである残虐表現というのはあまり表舞台に出てくるべきものじゃなくて、グレーゾーン上を漂いつつ粛々と表現されるべきものなのだが、それがグレーゾーン上にあるだけにその扱いにも一貫性がない。日本はCEROという存在があることで表現規制されることが多くて、海外版と同じ表現で遊べないプレイヤー達はいつもCEROと規制した企業を目の敵にしている。この状況はこれからもずっと続いていくんだろうが、一つ思うのは、日本というのはゲーム大国でありながらゲーム環境としてはあまり良くない変てこな場所でもある、ということだ。

 

 表現規制なんて個人的にどうでもいい話に多く字数を割いてしまったが、肝心のゲームの中身についてそろそろ書く。

 まずゲームとしてはバグが多いこと(発売時)を差し引いても、かなりの良作だったと思う。久しぶりにアサクリを遊んだが、こんなに進化してたのか~と素直に好印象。

快適なパルクールアクションと共に、延々寄り道・散策・収集

 このヴァルハラにおけるゲーム的体験の大部分ってのは詰まるところ、「圧倒的広さを誇るオープンワールド中を駆け回って、パルクールアクションで登ったり(飛び)降りたりしながらマップマーカーに示された各地のクエストやお宝、イベントをぷちぷち潰していく」という行為に還元される。ゲーム自体の自由度はかなり高めで、マップのどこに行っても良いし、メインストーリーを追わずに延々とマップ上に散らばったお宝探しをしていても良い。リブート版トゥームレイダーの遺跡内探検シーンがもっと薄味になったみたいなやつがマップ中に配置されてるような感じ。

 個人的にビデオゲームの収集要素はあまり好きじゃなかったし、今でも好きじゃない。100個も200個もあるどうでもいい石ころとかを集めさせられるのは、単に開発費だけかけて作ったオープンワールドというシステムを持て余した開発者が安易にプレイ時間の水増し(消費者はすぐ終わると60$の価値がないとか文句を言い出す)として配置した要素でしかないと思うからだ。このプレイ時間の水増しというのは、現実時間を費やしてゲームを遊んでいるプレイヤーにとっては本来的に悪で、昔のゲームがやたら難しいのもすぐクリアできなくしてプレイ時間を水増しさせるためだったし、世の中にはプレイ時間を水増しさせるありとあらゆる手段がある。

 今回のヴァルハラでもかなりの数の収集要素が(それも過去最大レベルで)あったが、不思議とそこまでうんざりしなかった。一度メインクエストを中断して、お宝回収し始めると延々1~2時間続けてしまうが、あんまり苦にならずむしろ楽しい。ストーリー体験をそこまで阻害してるようにも感じなかった。

 何故ヴァルハラに限ってはそうなんだろうと改めて振り返ると、それはやはりグラフィックの美しさなのかなと思ったりする。

f:id:yano140:20201209212932j:plain
 

f:id:yano140:20201209212904j:plain

 

 ヴァルハラは次世代ゲーム機のローンチタイトルとして出たこともあり、そのグラフィックも次世代機の性能を存分に引き出している。遠景描写とかはさすがに省略されてるが、このレベルのグラフィックが4K60FPSで家庭用機で遊べるようになったのは本当に良い時代になったと感じる。

f:id:yano140:20201209220142j:plain

 これくらいまでグラフィックが精細になってくるとどうなるかというと、ただマップを歩いているだけでも楽しくなる。ヴァルハラで街から街へと馬を走らせていると、美しい風景の中を散歩してるような満足感が感じられた。フィールド中の収集要素を集める間も様々な場所を訪れるのだが、そのあらゆる場所が美しい。この作品は特にライティングとか色使いが上手くてついフォトモードを起動して撮りたくなるような絶景が至るところに広がっている。

f:id:yano140:20201209220536j:plain

 アサクリのパルクールアクションはこうしたオープンワールドと非常に相性が良いと感じた。エイヴォル(含めアサクリ主人公)は半端ない握力を持っているので、どんな岩場や建物でも登って行くことが出来て、自分が行きたいと思った所へ自由に行くことが出来る。1の頃から比べたら移動中の操作性もかなり良くなった。オープンワールドゲームはよく目的地までが遠いとか、行き方が分からないとかでストレスが溜まることが多いがそういったものは一切無い。いや正確にはあるのだが(とてつもなく高い崖を延々登って目的地まで行ったり)、そう感じさせないのが不思議なところだ。

 今までのゲームなら目的地AからBまでの単なるお使いだったイベントでも、こうした美しいグラフィックのゲームではそれ自体が一つの旅になり「体験」になる。ヴァルハラで収集要素を集めてる間も苦にならず楽しかったのは、そうしてマップを散策すること自体が単なる移動ではなく、一つの旅行体験として感じられたからではないかと思ったり。

f:id:yano140:20201209221135j:plain
 ゲームのグラフィックの話になるとよく「グラはもう十分」だとか言う人が居るが、個人的にはまだまだ足りない。だがかなりいい線まで来ていると思う。今までは単なる地点間の移動に過ぎなかったものが、リアルなグラフィックによりそれ自体を一つの旅として感じられるようにまでなり始めている。これからグラフィックがより美しくなっていくにつれて、プレイ体験もより素晴らしいものになっていくに違いない。ゲームを一つの体験として考えた場合、なるべく良いグラフィックで遊ぶことはその体験をより良いものにしてくれることを再確認した。あとはフレームレートもやっぱり重要だ。30FPSだとやはり作り物の世界に感じる。60FPSだと滑らかな視点移動が出来てより没入度が高まる。まだ120FPSというのは試したことはないが、フレームレートも高いに越したことはないと思う。

 グラフィックがプレイ体験に与える影響というものを肌で感じて、これからはなるべく出来る限り精細なグラフィックでゲームを遊ぼうと強く感じさせられた。

 可もなく不可もない、戦闘システム

 オリジンズから刷新されたソウルライクな戦闘システムだが、これはかなりカジュアルな印象だった。元々アサクリの戦闘部分をそれほど面白いと思ったことはなかったが、今までのものよりはかなり良くなっていると思う。ただソウルライクとはいえ、本家ソウルシリーズほどの奥深さはなく底は浅い。結局はタイミング良く避けて攻撃していくに尽きるし、パラメータの影響がかなり大きいのでプレイスキルよりもレベルが重要といった感じ。折角だからパルクールアクションを駆使しながら戦えるようなボス戦とかがあれば良かったと思った。

 レベル上げで習得できるスキルは性能に差がありすぎて、一部の超優秀スキルを取ればあとはあってもなくても同じようなものばかり。コツコツレベル上げよりもとっとと武器を強化していく方が早いというのも、ある意味でソウルライク。別に酷評されるほどでもないし、賞賛されるほどでもない、大手が流行のシステムで手堅く作った印象。操作感は良いが、プレイヤーキャラが少し攻撃受けただけでもモーションキャンセルされるのに、相手はスーパーアーマーだらけなのにちょっと理不尽感を感じたりも。

 このゲームは戦闘よりも散策が楽しい作品なので、難易度的にもこれくらいで十分だろうと思う。同じソウルライクでもフォールンオーダーはかなり歯ごたえがあったが、あそこまで難しいのがヴァルハラみたいな広いマップ中にわんさか配置されてたらそれはそれで重すぎると思う。個人的には丁度良い塩梅。

もうステルスゲームではない

アサシンクリードというと元々は、アサシンとして陰に隠れながら敵を暗殺するみたいなコンセプトのゲームだったはずだが、いつの間にか白昼堂々集団戦を繰り広げる普通のアクションゲームとなっていた。実は初期作もステルスしなくても突撃しちゃった方が早かったりはするが、それでもちゃんとステルスアクションしようとはしていた。でももうヴァルハラをプレイする限り、そういう路線は辞めたようだ。

 ステルスは一応ある。あるにはあるがメリットは特になくて、普通に正面から攻撃を仕掛けた方が早い。ステルスゲームの場合は見つかった場合のリスクを上げるために敵をかなり強くしたりするが、ステルスも正面突破も出来るデザインにした結果、普通に戦う際の戦闘バランスに合わせて敵が設定されていて普通に戦って勝てるので、特にステルスする意味が無い。ステルスしてクリアしたからといって特別報酬的なものも無いし、またステルス時の感知範囲も割と広めで、一度バレると全員で襲ってくるので尚更奥地まで進んで見つかるよりは、入口から一人ずつ撃破して行った方が効率が良い。つまるところ、もうステルスゲームではない。

 この点は、別にそれで良いんじゃないかと思う。ステルスゲームというのはどうしてもメジャーには成りにくいし、苦手な人も居る。アサシンクリードの看板を背負ってるからステルス要素を一応残してるのかもしれないが、ここまで希薄化してるなら完全に無くしてしまっても良いとすら思う。

 

割と気になるバグ

 これはバグというか環境特有で発生する現象らしいが、XBOX版ヴァルハラ(発売時点)では画面のティアリングがめちゃくちゃ酷い。垂直同期を切った時に出るアレだ。プレイ中かなりの頻度で発生するので非常に気が散って、全くゲームプレイに浸れない。これはプレイ開始直後から気になっていて、ネット上でもかなりの報告が上がっていた。モニタのFreesync機能をONにすると軽減されるものの、完全に無くなりはしない。

 XBOXの純正キャプチャ機能で動画キャプチャを録ろうとすると、どうしてもノイズだらけの動画になってしまう現象にずっと悩んでいて、5万円くらいするバカ高い4Kキャプチャボードとか買うしかないかとか思い始めていたが、その原因もFreesyncをONにした状態でキャプチャしたことが原因だったと分かった。そうするとヴァルハラの動画キャプチャを残すにはティアリングしまくりのプレイ画面で遊び続けないといけないわけで、それはちょっと辛すぎる。

 そもそもUBIのゲームは割とバグが多いらしく、大規模なオープンワールドのタイトルが多いからそれはしょうがないと思いつつも、こういうプレイの集中を阻害するレベルの不具合は勘弁して欲しいと思った。

一つだけ許せないこと

そうそれは、積み石。

f:id:yano140:20201210044801j:plain

  ミニゲーム的なアクティビティの一つだが、これだけは頂けない。最初の頃の積み石は普通に楽しみながら出来るが、後半部分になってくると「この高さまで積め」という条件が相当に厄介だと気付く。ただ石を積めば良い訳じゃなく長辺を縦にしたりして置かなきゃいけないが、バランスを保つのがめちゃくちゃ難しい。無駄に正確な物理演算を発揮してくる。積み石をしてる最中エイヴォルの母親の声が聞こえてきて、「好きなように楽しむのよ」とか言うが全然好きに楽しませてくれない。精神統一どころか石が崩れる度ストレスで血管が切れそうになってくる。最後のエリアのハムトンシャーの積み石なんて一日中やっても出来る気配がしなかったので、もうトロフィーコンプリートは諦めた。今作においてこれだけは駄目だった。次作では絶対に廃止して欲しい。

 

なんだかこう並べていると不満の方が多い気がしてきたが、全体としてはかなり満足している。ゲームシステムとして特に突出した部分はないが、全体としてよく纏まっていて没入感を邪魔することはない。ここまでの規模の作品は売上を考えればそんなに尖らせることも出来ないだろうし、最大公約数的な仕上がりになるのは仕方がないだろう。一日の終わりに、毎日1~2時間くらいずつコツコツ遊んでいく娯楽としては丁度良い感じにまとまった作品だと思う。ただ全体を遊び尽くすのにかなりの時間を要するのは確かなので、あまり時間を割けない場合はメインストーリーだけやって収集要素はあまり気にしないとか、自分なりにゲームの遊び方を決めてからかかった方が良いかもしれない。ゲーム側は遊ぶ人間の事情を考えてくれない。

 

 

ヴァルハラの物語

 このゲームはストーリーが本当に良かった。4の海賊の話も好きだったが、それより俄然良かった。

 カリブの海賊ヴァイキングの間には、略奪をして生きる刹那的な所など共通する部分があると思う。ただヴァイキング個人主義的な海賊と違って一族や家族を大事にしたり、信仰に篤く神との関係があるという部分でまた異なる人生観を持っている。そういうヴァイキング特有の名誉とか信仰といった概念がストーリーと上手く絡み合っていて重層的な物語になっていた。

父殺しの旅路の果て

 振り返ってみると、このヴァルハラの物語というのはエイヴォルの長い旅路の物語だった。もう一人兄シグルドも居て、この二人の物語でもある。

 エイヴォルと兄シグルドは旅の中で栄光と名誉を求めたのだが、それは彼らの人生が不名誉から出発したものだったことによる。エイヴォルの父は一族を守るために戦わずして破れ、シグルドの父も同じく平和のために戦わずして膝を屈する。戦って死ぬことこそが名誉であると考えるエイヴォルやシグルドは、父を嫌悪している。

 エイヴォルは両親の敵としてキョトヴィを憎んでいたが、同時に心の奥底では立ち向かい戦わなかった父親をも憎んでいた。終盤、幻想のヴァルハラではエイヴォルは父親がこの場に居るはずはないと言う。戦いから逃げ名誉の無い父親は戦死者の館には入れないと考えているからだ。エイヴォルやシグルドはこうした思いをずっと秘めながら、自分は父親とは違い名誉と栄光を得るのだと故郷ノルウェーを捨てイングランドへと旅立つ。このヴァルハラという物語は、ある意味で父殺しをしようとする子どもの話だ。二人は父の生き方を否定し正反対の道を行くためにイングランドへ旅立つが、これは要するに精神的父殺しの旅でもある。

f:id:yano140:20201210000232j:plain

 ここで、彼らのそうした動機は敬虔なオーディン信仰に基づくものであったという点は理解しておく必要がある。

 ヴァイキングが信仰していた北欧神話は真の戦士である英雄のみが天国へ行けるという考え方を持っていて、主神オーディンが待つヴァルハラの宮殿には立派な戦士として死んだ英雄の魂が集められる。そこで彼らは永遠の饗宴と戦を楽しみながらラグナロク(最終戦争)を待つ。

 この信仰がヴァイキングの民の価値観を形成し、彼らは不名誉に生きることを何よりも恐れる。エイヴォルもシグルドも非常に信心深いし、そもそもが信仰と生活が不可分だったヴァイキングは皆が信心深かった。一見戦争狂にも見えるヴァイキング達は、実はかなり信仰に篤く文化的な民である。

 だからヴァイキングにとって、またエイヴォルやシグルドにとって戦いから得る名誉というのはある種の強迫観念のように彼らに取り憑き、彼らを支配していたと言える。作中でもエイヴォルが決断の時になると傍らにオーディンの幻影が現れ信仰に沿う助言をしてくる。いかにも典型的なオーディンが言いそうなことを毎回言ってくるが、恐らくこのオーディンはエイヴォルの内心の声であり、実在するものではない。つまりそれだけ思考に信仰が深く影響していたということだ。

 その信仰に従えば、彼らヴァイキングの民の最終目標は名誉ある戦士として死にヴァルハラに旅立つということになる。現世で略奪や戦争を楽しんでいるように見える彼らも、それは単なる悦楽の為ではなく神々に捧げる行いであり、その目は死後の世界へ向いている。そこが現世利益を求め続ける海賊とは決定的に違う。

 このようにして信仰故に精神的父殺しをしようとしたエイヴォルだが、旅を経て、最終的には父と和解することになる。この流れが物語として本当によく出来ていて美しいと思う。

 終盤部分を説明するにはアサクリのSF設定も書かないといけないが、それは一旦置いといて、ここは父殺し部分にだけ絞って書いていく。

f:id:yano140:20201210020058j:plain

 物語のクライマックスで覚醒した兄シグルドと共にユグドラシル(のような何か)に到達したエイヴォルはそこでヴァルハラの世界に到達する。

f:id:yano140:20201210020208j:plain

f:id:yano140:20201210020221j:plain

 ここでは北欧神話の内容通りに永遠の饗宴と戦いが繰り広げられてオーディン信仰に照らせば正に楽園。シグルドはやっとヴァルハラにたどり着けたと満足するが、エイヴォルはこの世界がまやかしであることに気付く。そしてシグルドを幻想のヴァルハラから連れ出そうとするがオーディンがそれを妨害してくる。オーディンはエイヴォルを自分と戦わせて、エイヴォルの体力が尽きれば何度も蘇らせ、逃げようとしてもエイヴォルの持つ斧を操って自分の元に引き寄せる。

f:id:yano140:20201210020441j:plain

 

f:id:yano140:20201210021926j:plain

f:id:yano140:20201210021959j:plain

 これはイベント戦になっていてこの時の演出が本当に良かった。

 戦いが続くと画面に「オーディンに斧が操られている」という表示が出てきて、気付いたプレイヤーがメニューを出して装備を見てみるとエイヴォルは父ヴァリンの斧を持っている。このヴァリンの斧はエイヴォルが最初に手に入れる武器で、ヴァリンはオープニングのシーンで仲間や家族を守る為に斧を捨てて無抵抗で敵に殺されることを選ぶという曰く付きの斧。そしてここで、エイヴォルが父の斧を装備から外す、つまり「捨てる」ことでオーディンの束縛から逃れ幻想から抜け出せるという演出になっている。

f:id:yano140:20201210022211j:plain

父の形見にして、父がかつて捨てた斧

f:id:yano140:20201210022607j:plain

f:id:yano140:20201210023129j:plain

 オーディンの束縛から逃れた後は扉の向こうに仲間達と両親が待っていて、そこでエイヴォルは笑顔で両親と抱き合う。エイヴォルが心から父親と和解することができた瞬間。父親と同じように斧を捨てたエイヴォルは、戦い続けることでしか得られない血に染まった名誉という呪縛から解き放たれて名誉や栄光よりも大切なものに気付くというシーン。この場面はこのゲームの中で一番良かった。

 

f:id:yano140:20201210023832j:plain

f:id:yano140:20201210023857j:plain

f:id:yano140:20201210023908j:plain

 エイヴォルに逃げられたオーディンはもう力が抜けたみたいにへなへなになってしまうが、これは文字通りに力を失ったということだろう。エイヴォルの内なるオーディンは、エイヴォル自身の力と名誉への信仰によって存在を保っていた。だからエイヴォルがそれを捨ててしまうともう存在することが出来なくなる。「アメリカン・ゴッズ」などでもそういう描写があるが、要するに宗教の神というものは信じる者がいるからこそ、信仰心があるお陰で力を持つことが出来る。誰にも信じられなくなった時、「内なる神」は死んでしまう。

 オーディンは懇願にも似た様子でエイヴォルに力も栄光もやるから戻ってこいと叫ぶが、エイヴォルは「それ以外を」と答えてオーディンは完全に消滅してしまう。それ以外というのはつまり仲間や家族、大切な人々との絆だろう。

 オーディン信仰が与えてくれるのは不死の命や力、栄光という夢だが、父親ヴァリンは他のヴァイキングと同じく信心深い信者であったにも関わらずそうしたものを放棄して、家族を守るために戦わず死んだ。エイヴォルが斧を捨てるのはその志を理解して受け容れ、父親と和解し自分も同じ道に進んだという意味なんだろうと解釈した。

 ここに、父殺しから始まり、紆余曲折を経て父との和解に至るエイヴォルの旅は終わる。エイヴォルは今まで心の支えとしてきたオーディン信仰を捨てることになってしまうが、もっと価値のあるものを手に入れられたのだと思う。

 


アイヴァーという男

 信仰を捨てたエイヴォルと対照的に、信仰に生き、信仰に死んだのがアイヴァーという男だった。

 メインストーリーの中でもこのキャラは特に印象深かった。

f:id:yano140:20201210004141j:plain

 アイヴァー・ラグナルソンはラグナル・ロズブロークという伝説的ヴァイキングの息子達の一人(名字はラグナルの息子の意)で、兄ウバと共にイングランド中を侵略している。アイヴァーは実在の人物で、骨なしイーヴァルという名が残っている。ドラマのヴァイキングにも出てくるらしい。

 このアイヴァーという男は初遭遇時から嬉々として捕虜を拷問しているような人物で狂人的に描かれていて見た目も言動もいかにもヒールだが、最もヴァイキングらしいヴァイキングでもある。

f:id:yano140:20201210004911j:plain

 アイヴァー関連のクエストにはチェオベルトというマーシア王国を継ぐことになる王子が共に出てきて、アイヴァーは未熟な彼をアイヴァーなりの愛情でかわいがっている。しかし最終的にアイヴァーはかつて敗北し顔に傷を付けられたロドリに復讐するために、策略の道具としてチェオベルトを殺してしまう。

f:id:yano140:20201210005158j:plain

 チェオベルトはこの殺伐としたヴァルハラの物語の中で数少ない両親を持った好青年なので、大体のプレイヤーはこの展開にショックを受けるはず。ロドリを血の鷲という残虐な方法で処刑し、チェオベルトへの裏切りも自白したアイヴァーは今度はエイヴォルに戦いを挑んでくる。

f:id:yano140:20201210005356j:plain

f:id:yano140:20201210005404j:plain

 アイヴァーはエイヴォルという強大な戦士を打ち倒すことで名誉を得ようとするように見えるが、ここは何となく自殺的にも映った。恐らくアイヴァーは復讐のためとはいえ弟のようにかわいがっていたチェオベルトを殺したことに彼なりに良心の呵責を感じていたのではないかと思ったりする。そしてそれを不名誉なことだとも感じていたのではないか。だからこそ復讐を果たして目的を喪失したアイヴァーはエイヴォルを倒して更なる名誉を得ようとしたのではないか。アイヴァーの名誉への希求は渇きに近い。

 アイヴァーという男はかなりトリッキーな言動をするので兄ウバにすらも何を考えているかよく分からないと言われる始末だが、実際のところはその思考はかなり一貫していて、彼の心を支配する中心的概念は多くのヴァイキングと同じく戦いによる名誉と栄光だったはずだ。彼もエイヴォルと同じように不名誉から出発していて、それはロドリとの戦いに負けたのに命を取られず逃げ帰り、顔に傷を付けられて負け犬の刻印を押されたこと。その復讐のために彼は大事な仲間を犠牲にする。復讐をすれば名誉を取り戻せるはずだったが、それでも彼の心は満たされずエイヴォルに戦いを挑む。つまるところ、アイヴァーの行動の全ては不名誉への恐れから来ている。

 アイヴァーという人物をオーディン信仰に照らして考えると、実は彼こそ誰より信仰に篤く、司教や大祭司のように敬虔な信徒だったのではないかと思う。戦いの中に名誉を見出す信仰は彼の狂気を正当化させ、彼もまた信仰を深めるほど名誉のために狂気に染まらざるを得なかった。アイヴァーには悲哀を感じるが、彼が破滅したのは盲目的な信徒になってしまったからで、そこがエイヴォルとの違いなのだと思う。

 アイヴァーはヴァイキングが抱く信仰の矛盾の象徴のような存在だった。すごく人間臭くて良いキャラだった。ヴァルハラの中でも一番好きな脇役。

f:id:yano140:20201210011303j:plain

 

神話のSF的解釈

 このアサシンクリードというシリーズは物語のジャンル的にはSFに属するもので、物語の世界観は人類よりも遥か昔にイスという古代人が居たという設定になっている。そのイスを崇めるテンプル騎士団というのが悪役で、それを止めようとするアサシン教団が主人公側の味方という感じで史実の歴史とそのSF世界観を絡めながら毎回ストーリーを展開している。オリジンズからは、さらに昔の時代設定になって多神教時代の古代が舞台となり、それに伴って神話が題材になった。オリジンズはエジプト神話、オデッセイはギリシャ神話、そして今回は北欧神話

 

f:id:yano140:20201210033255j:plain

f:id:yano140:20201210033307j:plain

 作中では霊薬を飲むことで北欧神話の神々の世界アースガルズへと意識を飛ばし、そこでハーヴィ(オーディン)の目を通して神々の物語の幻視を見るという演出がある。

f:id:yano140:20201210033452j:plain

f:id:yano140:20201210033515j:plain

f:id:yano140:20201210033524j:plain

 その世界では北欧神話お馴染みのトールとかロキとかが出てきて、北欧神話の展開通りに事が運んでいく。何故かエイヴォルは自分の姿のままハーヴィとして振る舞っていて、プレイヤーはこの段階ではエイヴォルの見ている夢や幻覚だからだろうとか納得するが、実はこれが叙述トリックで本当はエイヴォル自身の過去の記憶を見ているからだと後に判明する。

 作中の演出を注意深く見ると、このエイヴォルという人物は実はハーヴィの生まれ変わりなんだと分かるようになっている。オーディンを信仰していたエイヴォルが、実は自分自身がオーディンだったということ。

 話の中盤から敵に捕らわれ拷問されて片腕を失った兄シグルドは「自分は神だ」とか言い始め完全にイッちゃってる人に成るが、これも真実を言っていてシグルドも本当に神様の生まれ変わり。

f:id:yano140:20201210034345j:plain

シグルド兄さんの顔

f:id:yano140:20201210034304j:plain

アースガルズ篇で出てくる、神様テュール。よく見ると誰かに似てる

 これはちょっと勘がいい人ならすぐ判るようになってて、まず声優が同じなので気付く人はすぐ気付く。あとテュールとロキに関してはフェイスモデルが一緒。ロキはすごい髪型なのでそっちに目が行っちゃうが、よく見たらバシムと同じ顔をしてる。作中で神様の生まれ変わりだったのは

エイヴォル←ハーヴィ(オーディン

シグルド←テュール

ハルフダン←トール

スヴァラ(ヴァルカの母親)←フレイヤ

バシム←ロキ

の5人。あとはロキの愛人である巨人族の魔女アングルボザが作中ちょろっと出てくるカドゥケウスの杖に入ってるらしいが、過去作をやってないのでこの杖についてはよく分からない。ちなみにカドゥケウスの杖はヘルメスの杖だから本来全く別のギリシャ神話世界の物。

 この神様の生まれ変わりというのはそのまま本当の神様と言うことじゃなく、そもそも北欧神話自体が遥か過去に北欧地方に居た古代人イスから作られた神話ということらしい。そのイス達が未来の時代に転生できるような何だかすごい技術を持ってて、過去の大災害で滅びてしまったけどその記憶はエイヴォル達に受け継がれてるみたいな、よく分からないがそんな感じらしい。元々このアサクリという物語がDNAに刻まれたご先祖様の記憶にアクセスして過去に起きた秘密を探るみたいな結構とんでもないお話なので、割と何でもありではある。

 そんなすごい技術を持ってた種族なら人間にとってはやっぱり神様みたいなものなので、あんまりその点気にしなくていい。つまるところエイヴォルは気付いてこそいないが、自分自身が信仰していた宗教の主神だったということになり実はとんでもなくスゴい存在。しかもエイヴォルは最終的にオーディン信仰を捨ててしまうので、過去の自分自身とも決別することになる。いやほんと、スゴい話だ。

 神様=古代人なんてやると下手すればかなり陳腐な話になりそうだが、割と面白い感じに仕上がってて良いと思う。単にSF的に落とし込むだけじゃなく自己のアイデンティティとかも絡ませているのが上手い。

 ちなみにアサクリ世界だと北欧神話におけるラグナロクは、地球で約7万5千年前に起きたトバ・カタストロフということになってる。これは現実に起きた大噴火で、これにより人類の人口が1万人まで減少したという説もあるらしい。アサクリではトバ・カタストロフによって古代人イスは滅亡したということになってて、この虚実入り交じった感じが歴史題材のSF作品らしくて良い。

f:id:yano140:20201210041759j:plain

f:id:yano140:20201210041808j:plain

 アサクリ世界では北欧神話の神器グングニルミョルニルも、エクスカリバーも古代人イスの遺産だったりする。

 ネット上の意見では時代物期待して遊ぶのにSF部分が出てきて萎えるみたいな人も居たが、SF要素はあれど史実部分は割とリスペクトある感じで描写されてるので個人的に気にならないし、むしろ歴史の勉強になって楽しい。ヴァルハラのお陰でヴァイキング文化や北欧神話に興味も出てきたし、こういう風に現実とリンクしてる作品はそこから色々と関心を持って知識を広げていけるのが良いと思った。

 

ヴァイキングキリスト教化の歴史

 最後のハムトンシャーのクエストの描写について、史実の歴史を調べてみたら少し分かることがあった。

 イーストアングリアの王となっていたグスリムがヴァイキング達を率いてアルフレッド王と戦うことになる。チップナムという場所を攻めて犠牲を伴いながらも勝利し、アルフレッドはアセルニーという村に隠れる。この展開はほぼ史実通りになっている。ゲームの中では戦いに勝ちはするが、多くの仲間が死んでしまい後味の悪い幕切れ。指導者のグスリムはエイヴォルとの会話の中で、ヴァイキングとしての生き方に対する虚しさを語り、キリストの十字架に力を感じる、みたいなことを吐露する。

 このシーンというのはどうやら史実を反映したものらしい。史実の歴史でアルフレッドはこの後反撃に転じて878年にエディントンの戦いでグスリムは敗れる。それで降伏したグスリムは降伏条件としてパプテスマを受けて、キリスト教に改宗する。(洗礼名はアゼルスタン)デーン人自体も、時代が進むにつれて段々キリスト教化されていてって、10世紀にはハーラル1世がキリスト教に改宗する。

 つまりあのシーンはイーストアングリアの王グスリムやヴァイキング達が、時代の流れと共にオーディン信仰が廃れてキリスト教化していく流れを表現したものだったのかなと思ったり。エイヴォルも最後の方ではこんなことを呟いたりする。

f:id:yano140:20201212003904j:plain

 このアサシンクリードというゲームは、少し調べてみた限りは歴史考証に関してはかなり綿密に作られてるようだった。 ビジュアル面では描写能力とかの問題で現実よりこじんまりした感じになってるけど、史実を題材にしたゲーム作品としてはかなりレベルが高い方だと思う。この時代の歴史に詳しい人だったら、自分より何倍も楽しめるんだろうなぁと少し羨ましい。やっぱり作品を楽しむのには、教養はないよりあった方がいい。

 

 

 もう1万6千字くらい書いてて疲れたし書きたいこともなくなってきたので今回はここら辺で。プレイ中に撮りためたスクショが山ほど残ってるので、次回はそれを貼り付けながら色々書いていく。