【レビュー】映画「この森で、天使はバスを降りた」あらすじと感想

約8年前に自分で書いて存在を忘れていたブログと記事二つを見つけ、改めて読んでみたところ割と面白かったので誤字のみ訂正しこちらに転載しておく。2012年8月21日執筆の記事である、懐かしい。

 

 

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美しい森に囲まれた田舎町。夜中、一人の娘がバスから降り立つ。

 

 行く当てなどない。ここを選んだ理由だって、家族や知人がいるわけでもない。

 

  それでも娘はこの町を選んだ。この小さな町で、自分の傷を癒そうと決めたのだ。

 

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 「この森で、天使はバスを降りた

 

 アリソン・エリオット主演の1996年公開映画。原題は「The Spitfire Grill」。洋画恒例の原題完全無視の邦題だが、今回に限ってはより作品のメッセージを表す良タイトルに思える。 

 

以下、あらすじ 

 

 

 

 刑務所を出所した少女が、小さな町の喫茶店で働き始める。そして町の人々との触れ合いを通じて、小さな町に変化と幸せをもたらしていくお話。

 

  アリソン・エリオットは1970年生まれの女優。この映画撮影時は20代後半であったが、劇中では端正で童顔な顔だちも相まって、「あどけなさが残りつつ も、その心に年齢には似つかない深い傷を負った二十歳前後の若い娘」といった役どころを好演している。今作で初めて知った女優だったが、他の作品も鑑賞して みたいと思えた。ただこれ以外に出ている作品は微妙なものが多い。

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 主人公のパーシー(アリソン・エリオット)は罪を犯し5年ほど刑務所に服役したのち、満期出所。 

 そして、森に囲まれた片田舎で人生をもう一度やり直そうと歩き出した。どうやらアメリカの刑務所では(州にもよるだろうが)出所後に住む場所を選ばせてくれるところもあるらしい。

 

  パーシーが選んだのは、特に栄える産業も無いさびれた田舎町。町の保安官にここを選んだ理由を聞かれると土地の古くからの伝説に魅かれたと語りだす。「オデュッセイア」と黒マジックで書かれたボロボロの本を愛読しているあたり、古い物語が大好きなのだろう。長い獄中生活では、人は誰しも読書に目覚めてしまうのかもしれない。

 

 家も知り合いもなく、ほとんどその身一つでバスから降りたパーシーに、保安官は住む場所を探す。

「The Spitfire Grill(スピットファイアグリル)」

そうだ、そんな戦闘機のような名前の喫茶店に、腰が悪いのに一人で店を切り盛りする老女がいた。彼女にとりあえずパーシーを雇わせて、そこに泊めさせよう。

 

 老女は渋々ながらも、彼女を雇って一部屋貸すことにする。ぶっきらぼうながらも、人は悪くないようだ。

 老女の名前はハナ。旦那はもういない。一人息子も戦争で亡くし、軽食喫茶店を一人で切り盛りしている。老いによって体も衰え始めているようで、中々 苦労は多いようだ。店をもう売りたいと考えているが、中々買い手はつかないらしい。

 

  この老女を演じるのはエレン・バースティン、大女優である。若いころにはあの「エクソシスト」の母親役をやっていたり。この映画の4年後に公開された「レ クイエム・フォー・ドリーム」では薬物依存症に陥った母親役を熱演。正真正銘の演技派女優といっても過言ではないと思う。洋画好き、または俳優好きならイ ンタビューの番組で知ってるかもしれないアメリカの俳優養成学校「アクターズ・スタジオ」の学長を共同で務めていたりもする。現在もご存命みたい。

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 パーシーはここで住み込みで働くことになった。今までのことは水に流して、心機一転、新しい生活を始めるのだ。不安と期待が入り混じった表情で、パーシーは与えられた部屋のベッドに腰を下ろす。

 

 翌日から働き始めるパーシーだが、町の住民は興味津々。なんせこんな田舎に若い娘が突然来たのだ。どこから来たのか、だれなのか。住民は好奇の目でパーシーを見る。 そんな雰囲気に居心地の悪さを感じるパーシー。

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 突然、パーシーは大声でハナに話しかける。

 「ねぇ、ハナ?私が5年刑務所に入ってたってもうあなたに言ったっけ?」

 どうせ、すぐ分かること。これであなたたち満足でしょ?パーシーはそう言わんばかりだ。

 

 これは厄介なことになった。犯罪者が町にきた。閉鎖的な町での当然の反応。不快感を覚えながらも、きっと自分自身もそう思ってしまうかもしれないのが悲しいところだ。そしてその犯罪者がもし自分の叔母のもとで暮らし始めたのなら尚更に・・・。

 

 ハナの甥、ネイハムは露骨にパーシーに不審の目を向けている。犯罪者がこの町に何をしにきたんだ。どうせろくなことにならない。ちゃんと見張っているぞ。初対面からそんな態度を露わにしてくる。

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ちなみにネイハム役はウィル・バットン。脇役で色々出てる人だがどれが代表作って言われても出てこない。印象的にはアルマゲドンかなくらい。この映画ではとことん憎まれ役をしてくれる。 それでも悪人というわけではないけれど。

 

 

 

  やっぱり急に知らない町に来てうまくやっていくことなんてできないんだろうか。パーシーは落胆しながらも、黙々と仕事をこなす。そんな中、一人の若者が パーシーに話しかける。名前はジョー。映画の尺が2時間しかないということは理解しているが、いくらなんでもジョーはパーシーに気があることをあからさま に出しすぎである。町のほとんどの住民には不安の種である彼女も、彼にとっては幸運の出会いであったようだ。

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 ジョーに誘われドライブに出かけるも、過去のトラウマを思い出してしまうパーシー。気まずい雰囲気のまま帰路につくと、そこにはイスから足を踏み外して動けなくなったハナの姿があった。

 

ハナに拒絶されながらも優しく介抱するパーシーに、ハナの心も少しずつ開いていくのであった。

 

 

 

 翌日から、怪我をして厨房に立てなくなったハナの代わりに、パーシーは一人で店の切り盛りを任される。

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 実際、料理の腕前は相当ひどい。あまり親からは家事というものを教わらなかったようだ。料理と呼べるかは少し怪しい、目玉焼きという名のスクランブルエッグと黒いひき肉の塊を皿に移しながら、パーシーの一日は忙しく過ぎるのだった。

 

 

 さすがに見かねたハナは、甥の妻シェルビーを店の手伝いに寄越す。シェルビーは良き母親であるが、悩みを抱えている。夫が彼女を馬鹿な女と軽視して認めてくれないことだ。そのためか彼女はいつも自信なさげである。

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 シェルビー役はマーシャ・ゲイ・ハーデンスティーブン・キング原作の映画化「ミスト」で、狂信者のおばちゃんを熱演、いや怪演していたのでとても印象に残っていた女優だ。良かった、普通のお母さん役もやってたんだ。アカデミー助演女優賞を獲ったこともある名女優。

 

 

 ハナの容態も少しは良くなってきた頃。

 

 店でのパーシーの提案にシェルビーが興味を持つ。刑務所で観光局の電話対応をさせられていたときに実際にあった話。旅館を売りたかった人が参加費100ドルの作文コンテストを開き一番良い作文を送ってきた人にその旅館を譲渡するという企画をしたところ、予想以上の応募があり普通に旅館を売るよりも多くの金が入ったというものだ。

 その話を気に入ったシェルビーは、ハナにも提案をしてみる。本当にそんなうまい話があるのか。疑いつつも、このまま売りに出していても一向に買い手がつかないこの店をなんとか現金に換えるため、ハナは作文コンテストを開こうと決意したのだった.......

 

 

 

 

〔雑感〕

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出てくる主要人物としては以上で挙げたあたり。他にも映画の要となる人物が一人いるが、ここではあえて紹介しないでおく。全体としては小さな町の中で起こるこじんまりとしたストーリーで登場人物もそこまで多くなく、映画が中盤にさしかかるころには全ての登場人物を覚えることができる。登場人物が少ない分、一人ひとりが立っていて、十分に演技を堪能できた。

 

 映画のテーマとしては、かつて罪を犯した少女が町で再起するという設定からも、まず「贖罪」だろうか。ただ実際彼女が犯した罪の罪状とはまた別のところで彼女自身は苦悩を抱えているという点が、単なる犯罪者の贖罪物語とは違うところである。

 この映画の肝はむしろ、「母と子」であることが映画を見ているうちに分かってきた。子を思う母の気持ちを、パーシーやハナを通じて作者は伝えたかったのだろう。パーシーが作中で母と子についての土着伝説を語るシーンは、まさにパーシー自身の心境を表す印象的なシーンだった。

 元服役囚であるパーシーに対して、ネイハムが自身の犯罪者に対する思い込みを爆発させてどんどん間違った方向に突き進むあたりは見ててストレスマッハだったが、よく考えればこれは我々が普段当然のようにしていることだ。異物の存在を恐れて排除しようとするのは人間自身の本能のようなものなのかもしれないが、この映画はそうしたものを否定的に描き出して、他者を「受容」することを視聴者に促しているように思える。

 

 舞台である町を取り囲む「自然」の美しさ。これもこの映画の魅力である。自然のドキュメンタリー番組で流れるような美しい映像が所々で挿入され、町で暮らしていくうちにパーシーの心が少しずつ洗われていくのを表しているようだった。青年ジョーが金になる木のほとんどない森をみて嘆く横で、パーシーはその森の自然そのものの美しさを賛美するシーンがとても印象的だった。

 

 映像とともに流れるジェームズ・ホーナーの音楽が、より映画に花を添えている。タイタニックの曲を担当したことで有名なこの作曲者は良作によく顔を出している印象だ。やはりいい映画にいい音楽はつきものなのか。

 

 この映画は映画祭出展時には大変反響を呼んで配給会社は競って入札したそうだが、本国アメリカでの公開時にはそれほど評価が出なかった、なんて話もあるらしい。それはさておき、この映画を映画館で観たとしたら、その上映が終わるとともに自分の心は何とも言えない優しい気持ちで満たされたことだろう。話の展開を見る限りでは、哀しい話と定義することもできる。それでも哀しい話というよりは、どちらかといえば希望の物語であると感じた。

 

 パーシーが町に来る前と去った後、町の人々が、そして町自体が大きく変わる。その有様は確かに邦題の通り、天使が降り立って奇跡を起こしていったかのようだった。ハナの店を見事作文コンテストで手に入れた人物がクライマックスで町にやってくるとき、そこではパーシーの起こした奇跡を確かに垣間見ることができる。よそ者として町にやってきたパーシーは、町の人々だけでなく、「二人目のパーシー」をも救うことが出来たのだ。

 

 哀しいはずのストーリーを見終わった後なのに、なぜか、ぽかぽかとした幸せな余韻が残る。

 そんな不思議な感覚をもたらしてくれる映画。

 

お勧めです。