【エッセイ】ゲーム「Star Wars ジェダイ:フォールン・オーダー」SW愛に溢れた王道の成長物語

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 この素晴らしい作品をクリアして、心地よい余韻に満たされているうちに想いの丈を綴っておくことにする。推敲するほどの内容でもなく心の赴くままに書くので、「バイオハザードRE2」について書いたときと同様に支離滅裂な乱文になろうかと思う。私が特に感動したのは本作のストーリー・演出であり、その点を中心に書いていく。また、文章の中で作品の核心にも触れるので、この作品に少しでも興味を抱いてこの記事にたどり着かれた方は、是非ともネタバレ無しにまず作品を遊んでいただきたい。そしてクリアした後で感想を共有していただければ幸いである。

本文文字数:5518字

読了目安:11分

 

目次

1.「フォールンオーダー」までの、いちSWファンとしての個人的軌跡

2.「フォールンオーダー」という作品の立ち位置

3.「フォールンオーダー」のストーリー

4.「フォールンオーダー」グッときた演出

 

 

1.「フォールンオーダー」までの、いちSWファンとしての個人的軌跡

 まず、私とスターウォーズという作品群との関係について、少し触れておきたい。

 スターウォーズは現在ナンバリング本編は8作品あり、旧三部作(4,5,6)、新三部作(1,2,3)、続三部作(7,8,9(公開予定))などという呼ばれ方をしている。幅広い世代のスターウォーズファンは、この各三部作のどれを初めて観るかで、「原体験」が変わってくる。最近では初めて観たのがエピソード7という方も少なくないだろう。私が幼い頃に映画館で初めて観たSWは、エピソード1だった。だから私の原体験は、EP4からのクラシックなファンには正直あまり評判の芳しくない新三部作にあり、その頃はもうDVDの時代だったが、ビデオのテープがすり切れるほどにという比喩を使いたくなるほど、EP2や3を何度も繰り返し観たものだった。後追いした4~6の鑑賞に関しては古典作品を観るような気持ちであり、どちらかといえば自分のルーツを辿るような気分であった。

 エピソード7が公開されたのは、もう4年も前の話になる。ルーカスの居ないスターウォーズの新作には大きな不安を覚えたが、いざ観れば思っていたほど悪くは無かった。スターウォーズの世界観を尊重し、新世代も登場人物たちも好感が持てる。ソロが死んでしまうのは残念だったが、3部作の前編では師が死んでしまうのがSWのお決まりなのであり、(4ではベン、1ではクワイガンジン)喪失を乗り越えた先の成長というプロットのため、脚本上仕方が無いことだと納得した。何よりEP7は新たなサーガのプロローグに当たる部分であり、これから物語がいよいよ始まるのである。EP7の出来を受けて、EP8に大いに希望が持てた。その間に放映された「ローグ・ワン」も英雄譚の裏側の悲劇を描いた切ないストーリーで、中々に素晴らしかった。

 そしてやって来たのが2017年、エピソード8の公開である。7と同じように公開初日に鑑賞席を確保した私の目に映り込んだのは、それはあまりにも期待とはかけ離れた何かであった。映画館を後にしてからというものの、評論家が絶賛していようが、興行成績の更新を伝えるニュースがいくら流れようが、私の心を癒やすことはなかった。

 ここで8について長々と書く気は無いが、あまりにも失望が深すぎてそれからしばらくSWから一切の興味が失われた。世間で「ハン・ソロ」が公開していようがどうでも良く、後で100円レンタルで観てみたが案の定どうでもよい作品であった。もう、ディズニー資本になってからのSWに対して、今までのSWとは違う別の何かだと思うことしかできなくなった。

 こうしてSWへの情熱を失う期間は2019年後半まで続くこととなったが、それに終わりを告げたのがこの「フォールンオーダー」である。EP9公開を来月に控え、明らかにその前座として発売された本作だが、それが私にとっては続三部作のどれよりも、スターウォーズを初めて観たときのあの感覚を思い出させてくれることとなり、良い意味で裏切られたのだった。

 

2.「フォールンオーダー」という作品の立ち位置

 本作は、スターウォーズファンをターゲットにしたARPGとでも言えるジャンルのビデオゲームだ。そのゲームデザインは、最近の流行の潮流を取り込んだいいとこ取りのように思える。戦闘部分は、ダークソウルなどに代表されるような、ソウルライクと呼ばれるタイプで、SWのゲームにしては意外に難しくやり応えがある。アドベンチャー・探索部分は、リブート版トゥームレイダーシリーズと非常に似通っている。新たな移動手段の解放順番などは、ほとんどそっくりと言って良い。つまりゲームデザインの点で、何か革新的なものがあるということはなく、現在のヒットゲームの要素を組み合わせながら良質なスピンオフ作品を作ることに徹したという印象だ。SWのゲームに最先端の革命的システムを望むようなファンもあまり居なさそうなので、個人的にはスピンオフ作品というのはこういった作り方で十分に思える。

 本作ストーリーのSWサーガに置ける時系列は、EP3と4の間となる。この時代は、ジェダイの凋落とシス・帝国の台頭による暗黒時代の幕開けという非常に暗い時代であり、しかも4~6での物語というのは既に定められているので、そこで物語を考えるというのは中々に窮屈でもある。主人公が最終的に悪に打ち勝つ(それはルーク達に委ねられる)というプロットが取れない以上、ローグワンのような悲劇的な感じになりがちだ。そんな中、本作はその窮屈さの中でもできうる限りに良い物語を紡ごうと努力したように感じられた。前日譚・外伝・スピンオフ作品などにおける新登場のキャラクターというのは、前後の歴史が定められている以上決して正史の主役のような脚光を浴びる功績を残すことが出来ないという運命にあり、そこにはある種の哀しさがあるのだが、そんな中今作の登場人物たちは自分たちに許される範囲の中で最大限に躍動しており、かつそれが正史と整合性のある形できちんと収まっていた。3~4の間に実はこのような物語が最初からあり、陰ながら努力した無名の者達が居たのだと思える説得力が、本作の脚本には十分に備わっていると感じられた。スピンオフ作品としては、できる限りのことをやったという印象である。

 

3.「フォールンオーダー」のストーリー

 ここよりネタバレ全開で本作の物語について綴っていく。

 まずこの「フォールンオーダー」は物語の型として、王道中の王道を行くものである。「貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)」や「成長物語(教養小説)」、取り分け「喪失と成長」といった要素を中心に据え、カルというジェダイパダワンの成長を通して物語を進めていく。

 「貴種流離譚」というのは、主人公が実は高貴な血筋にありながら流浪する身となっているようなタイプの話である。これは物語において王道中の王道であり、EP4のルークもEP1のアナキンなども「貴種流離譚」に当てはまる。カルも生き残るためパダワンという身分を隠しながら解体屋として生きている。

 「成長物語(教養小説)」というのは、物語が主人公の内面の成長を通して進んでいくというタイプのお話を指す。EP4~6などは、まさにルークの成長の物語である。いわゆる「少年漫画」などには、この型が非常に多い。

 上で述べたとおり、本作は物語として王道中の王道であり、それを陳腐と言うこともできなくはない。しかしEP4~6が不朽の名作として今も語り継がれるのは、やはりそれらの物語も王道中の王道を行くものであったからだ。そして王道には王道なりの理由があり、それは普遍的な価値と言ってもよい。今回、個人的に感じたのには、普遍的であるが故に、この多様性に溢れた相対的な現代の創作物の中においてはより一層に輝いて見えたのではないかということだ。分かりやすく言えば、「ベタだからこそ響いた」のである。

 主人公カルはオーダー66の悲劇を生き延びたものの、師匠を失いジェダイパダワンとしての誇りを抱けぬ辛い日々を強いられた未熟な若者として登場し、そこから物語を通して少しずつ成長していく。最初はパダワンとしての基本的な技術すらも思い出せない状態であり、彼はトラウマを抱えて記憶に蓋をし、アイデンティティを喪失していることが分かる。旅を通して少しずつ記憶を呼び起こし、技術を思い出していくというのは彼の自信と誇りが回復していくということを意味する。最終的に彼は師匠から教わった全ての技術を思い出し、そこに自身で編み出した新たな技術を加えることで、師匠の死という最大のトラウマを克服することに成功する。つまり「喪失と成長」である。

 心折れたジェダイの協力者シアの場合は、逆に弟子を失ってしまった師匠という立場であり、これはカルの境遇ときれいな対照関係にある。カルとシアはお互いに学び合いながら物語の中で成長していき、最終的に喪失を乗り越え、喪失前よりも強くなって再び立ち上がるという脚本は、王道ながら非常に自然で感情移入のしやすい心地よい流れだった。シアがカルと協力して弟子のトリラをダークサイドから救おうとする展開も旧三部作におけるルークをなぞる形であり、SWにおける一大テーマ、「善と悪の戦い」というものをきちんと踏襲していて非常に好印象。

 本作のストーリー上何より素晴らしいと感じたのは、カルが様々な経験を通して学び、最終的に何が正しいことかを自律的に判断して行動するという点だった。本作においての脚本の大筋、物語の目的というのは、「若きフォース感応者の記録が収められたホロクロンを見つけてジェダイオーダーを再建する」という所にあったのが、最終的には彼らを危険に晒さないためにホロクロンを破壊するという結末に落ち着く。

 一見、結局旅は徒労に終わり何も変わらなかったように見えるのだが、始点と終点での決定的な違いは、それぞれの人物が大きく成長したことと、かけがえのない仲間を得たということにある。最後には喪失を乗り越えて成長した主人公と仲間達が結束し、希望に満ちた終わり方をするという点で物語としては一応のことハッピーエンドなのであり、スピンオフ作品としてはこの上ない結末だと思えた。トリラの無念が果たされず後味の悪さを感じるかもしれないが、スピンオフというものの制約上仕方の無いことだ。物語の時系列上彼女の無念はEP6において果たされるという構造になっているので、改めて皇帝がポイされて落っこちて死ぬところを観ることで溜飲を下げるという手しかないだろう。

 何度も繰り返すが、結論として本作の物語はまことに王道を往くものであり、主人公カルの成長を丁寧に描くことで、感情移入度の高い素晴らしい成長物語としての完成を見た。こういう王道ながらも説得力のある良質な成長物語というのは、意外と作るのが難しいものである。

 

4.「フォールンオーダー」グッときた部分

 本作においては演出が特に素晴らしかった。ビデオゲームインタラクティブ性を持った総合芸術としての性質を存分に発揮していたように思う。以下、グッときた要素を思いつくままに列挙して本記事の締めとさせて頂く。

 

・オープニングから、通商連合の戦艦など新三部作の要素がふんだんに出てくる。肩身の狭い新三部作愛好家としては嬉しい限り。野暮いダサいと言われても、あのデザインが好きなんだ!新三部作最高!

・主人公らの旗船「マンティス」が着陸するとき、エンジンが地面にぶつからないように一度主翼とセットで回転してから、主翼だけまた回転して元に戻る機構、素晴らしい...。

・ゲーム的要素としてのスキル開放演出が、単純に道具を手に入れるようなものではなく、きちんと主人公の内面的成長として描かれている点が素晴らしい。主人公がパダワン時代の教えを少しずつ思い出していくのと、新しいスキル解放を上手くリンクしており、非常に優れた演出だった。

・音楽がジョン・ウィリアムズ節全開で、スターウォーズ感を存分に味わえた。本作はウィリアムズは関わって居らず二人の作曲家が担当しているが、SW原作のウィリアムズ音楽をよく研究しており、原作への深いリスペクトを感じられた。

・カルがマスター・タパルの死の瞬間を思い出す回想場面ではウィリアムズ作曲のEP3で使用されたオーダー66のテーマ曲が流れ、これがまたグッとくる。音楽の力というのは、その曲が鳴っただけで別の場所ではアナキンやオビワンがあんなことをしているのだなということを一瞬で想起できるという点にある。このテーマ曲の使い方は、ファンメイド的ではあるが、非常に効果的にであった。

・キャッシークの大樹を登っていくシーンは本当に壮大で美しい。

・イラムで壊れたライトセーバーを作り直すシーンは、泣ける。最初、カスタマイズ出来る割には光刃の色が緑・青しか選べないのはやや少ないなと思っていたのだが、そこでそう来るか。あの場面は本作屈指の鳥肌シーンだと感じた。自分で色を選ぶという行為は、自立した一人前に成長したということのメタファーだろう。

ライトセーバー制作の直前のシーンでは、BDの健気な自己献身が垣間見えるシーンがあり、単なるかわいいマスコットキャラから認識が一変する瞬間であった。コルドヴァがずっとホログラムで「友よ」と語りかけているのは、実はBDであったことも分かり叙述トリックとして素晴らしい。

・EP7の冒頭で、帝国戦艦の残骸の中に入ってスクラップ漁りをするレイを見た時に抱いた「戦艦廃墟の探索とか最高じゃん、そこをもっと見せてくれよ!」という思いが、見事に解消された。入ってみたかったんだ、壊れた戦艦の中!

・ヘルメット被ったミステリアスな出で立ちで、いざ蓋を開ければ中東系美女の悪落ちトリラ嬢、グッときた。メットをいつも被っているので髪の毛がちょっとぺしゃっと湿っている感じも、大変素晴らしい。